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西南戦争をたどる②/撤退敗走。西郷は終焉の地・城山へと向かう

西郷隆盛終焉の地

鹿児島市城山にある西郷隆盛終焉の地

1877(明治10)年2月から9月にかけて繰り広げられた西南戦争。旧薩摩藩士を中心とする士族が西郷隆盛を担いで明治政府に対して起こした最後の内戦です。薩摩軍約3万人、政府軍約6万人が動員され、約1万4千人が亡くなりました。

西南戦争をたどる②。今回は田原坂で敗れた薩摩軍が部隊再編を図りつつ退却していった宮崎、日向、延岡から、西郷隆盛終焉の地・鹿児島へと向かいます。

薩摩軍行軍・敗走の図

薩摩軍行軍・敗走の図

掲載内容は各施設・自治体公表のものです。

耳川・西南の役激戦の跡

耳川の激戦地

耳川を挟み両軍が激突した西南の役激戦の跡

耳川を挟み両軍が激突

  • 日向市美々津・耳川河口付近

田原坂で敗れ、熊本城も落とせなかった薩摩軍は人吉まで撤退し、部隊再編を図りました。しかし人吉も陥落し、都城から宮崎、美々津と退却。

美々津では耳川を挟んで政府軍と相対しましたが8月3日からの攻防戦の末、さらに敗走を続けることになりました。耳川河口に近い中洲「中の島」のJR鉄橋近くには「西南の役激戦の跡」の案内板が立っています。

西南の役激戦の跡

  • 日向市美々津[MAP
  • 問/日向市文化生涯学習課
  • TEL:0982-66-1038

 
大砲

西郷隆盛宿陣跡資料館

西郷隆盛宿陣跡資料館

山陵を背にした地で全軍に解散令を出す西郷隆盛(延岡市教育委員会西郷隆盛宿陣跡資料館所蔵)

山陵を背にした地・俵野の児玉熊四郎邸で全軍に解散令

  • 延岡市北川町

8月15日の和田越の戦いに敗れた薩摩軍は、俵野の児玉熊四郎邸に本陣を置き、17日まで滞在しました。西郷は16日、政府軍に完全に囲まれた状況下で全軍に解散令を出しました。児玉邸は保存され、「西郷隆盛宿陣跡資料館」として公開されています。

同館管理人で熊四郎のひ孫に当たる児玉剛誠さん(75)は「西郷さんがこの地を選んだのは、裏山がニニギノミコトの陵墓の可愛(えの)山陵で、政府軍は天皇家の陵に向けて砲撃できないと考えたから」と語ります。

西郷隆盛宿陣跡資料館

  • 延岡市北川町長井6727[MAP
  • TEL:0982-46-2960
  • 開/9:00~17:00
  • 休/12/28~1/3
  • 料金/無料

 
大砲

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

最後の本陣、西郷隆盛洞窟

薩摩軍、最後の本陣

  • 鹿児島市城山

8月17日夜、西郷ら600人余りの薩摩軍は俵野の宿陣を出て高千穂へと向かい、険しい九州山地を南下。9月1日、鹿児島にたどり着き、本陣を城山の頂上付近に置いた後、中腹の洞窟に移しました。

城山は政府軍に包囲され、勝敗の行方はすでに決していました。西郷は最後の5日間をこの洞窟で過ごしました。

西郷隆盛洞窟

  • 鹿児島市城山町19[MAP
  • 問/観光交流センター
  • TEL:099-298-5111

 
大砲

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地の石碑

西郷隆盛終焉の地の石碑

西郷、49歳の生涯を閉じる…

  • 鹿児島市城山

9月24日早朝、城山に向かって政府軍の総攻撃が開始されました。攻撃は次第に激しさを増し、死を覚悟した西郷は桐野利秋、別府晋介、村田新八らと洞窟を出ました。

出てすぐの所で西郷は銃弾を受け、「晋どん、もうここらでよか」と別府に介錯を頼み、最期を迎えました。直後、別府らも銃弾に倒れ、7カ月に及ぶ西南戦争は終わりました。

JR鹿児島線沿いには西郷隆盛終焉の地の石碑が立っています。

西郷隆盛終焉の地

  • 鹿児島市城山町12[MAP
  • 問/観光交流センター
  • TEL:099-298-5111

掲載内容は各施設・自治体公表のものです。

西南戦争をたどる①/挙兵行軍。そして激戦地・田原坂へ…はこちらから。

 

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